立川志ら玉の現場主義日記

-志ら玉ブログ- 落語家・立川志ら玉の何も事件が起こらない日々

9月12日(月)の志ら玉

酒の為眠り浅く、二時間程の睡眠で真夜中目が覚める。
そのまま眠れず読書。

角川文庫、山田風太郎「戦中派不戦日記」読了。
昭和二十年の日記。
筆者は医学生だった為本来兵隊に取られる筈が、免れた意での「不戦」日記。
日記文学はここ数年興味持って読んでいるが、太平洋戦争下には高齢者のものが殆ど(そもそも若年層は通常兵役で日記を残すどころではない)。
そういう訳で、当時二十三歳の若者男性から見た内地戦時下記録は貴重且つ新鮮。

5時、再就寝。
13時「たまむすび」起床。

浅草キッド著「キッドのもと」より。
バブルの八十年代後半、浅草フランス座に預けられた二人。その水道橋博士の記述に、「二百五十円弁当として有名だった『ぱくぱく弁当』」と有り。
我々も前座時代飢えをしのいだ二百五十円の「乞食弁当」ことぱくぱく弁当は、そんな昔からあったのかと驚く。

明日の着物支度、と落語稽古。
明日の持ち時間は10分なのだが、つい時間オーバーしてしまう。
その案配に苦慮。