立川志ら玉の現場主義日記

-志ら玉ブログ- 落語家・立川志ら玉の何も事件が起こらない日々

9月11日(水)のらく里

13時、たまむすび起き。
博多大吉担当日。

古川ロッパ昭和日記 晩年篇」より。
昭和二十八年一月十五日。
以下抜粋。

「今のコメディアンたちは、客が幼稚なため、思ひ思ひの捨てゼリフを競っている、捨てゼリフ俳優の勝利なのだ。」
「又もっとさかのぼれば、アノネノオッサンの『アノネーオッサン』となる。アノネーの時代は、あんな芸は、子供にしか受けず、大人は顔をそむけたものだが、今の時世は、その捨てゼリフの、而も幼稚な奴が、やたらに受ける世の中である。つまりは、十二歳平均の文化なのだ。」

と。テレビ放送始まる前の時代の日記也。
しかし、かつてはまだ「捨てゼリフ」だったものが、今や「本芸」となっており、益々「幼稚化」しているのではないだろうか。

夕刻、綾瀬駅に向かう途中、Wコロンの木曽さんちゅうさんお見かけす。
綾瀬在住という話は聞いていたが。

上野広小路亭立川流夜席」。
少数精鋭のお客さん。
「目黒の秋刀魚」。
衣替えして今日から単衣。
カバンが重い。
トリは里う馬師匠「風呂敷」。