立川志ら玉の現場主義日記

-志ら玉ブログ- 落語家・立川志ら玉の何も事件が起こらない日々

8月25日(火)の志ら玉

晴。

10時半起床。

 

涼しく感じたが、実は三十度超。

これを涼しく感じる今までの気候が異常なのである。

 

中央公論社、「久保田万太郎全集 第十一巻」読了。

樋口一葉に関するものの考察、 落語や寄席に関するまとまった随筆、その他時代順の随筆、という三つの柱で収められた巻。

落語に関する記述が目当てだったが、ちびちびとしまいまで読み通す。

昭和三年の随筆内で、圓蔵時代の六代目圓生師「居残り佐平次」における言葉の間違いを指摘していたのは新鮮。

確かに、圓生師匠も明治の風俗を詳細に知る訳でもない若き昭和青年だったのだ、と気付かされる。

また「馬生改めしん生」の「らくだ」に触れた昭和十四年の随筆では、「だらだらと、しまりのない」「まくらをながながとふるのにことごとく退屈し」、「どこまで行っても噺の焦点が合わず」と、確かにそうだったのであろうことが感じられる記述。

名人達の若き時代の批評読むと、芸人はその一過性の評価だけでなく、そこからのリスタートでその後どうなるかが肝要なのだ、と励みとなる。

 

夕方、散髪。

行き付けの床屋休みの為、中野ブロードウェイ地下QBハウスへ。

空いていた。

 

中央図書館。

返却、貸出。

館内でカミさんとばったり会う。

 

夕食時の缶ビールでやけに眠くなり、早寝。