立川志ら玉の現場主義日記

-志ら玉ブログ- 落語家・立川志ら玉の何も事件が起こらない日々

談大兄さん

11月4日、立川談大兄さんが亡くなった。
私の一つ上、36歳。
一週間前にくも膜下出血で倒れたという一報を聞いてショックを受けたばかりだったのに。

一見ぶっきらぼうで無愛想。それ故誤解されやすいが、とても優しい人だった。
大胆なようで繊細でした。
食べ物に一家言あって打ち上げのつまみは兄さんがよく一手に注文していたものだ。
ウーロンハイのジョッキに氷をなみなみと入れるのがあの兄さんの飲み方。
なぜそんなに氷入れるのか、聞こう聞こうと思いながら聞くの忘れた。
あんなに聞く機会あったのに…。

最後に一緒だったのは10月15日の広小路亭、立川流夜席。倒れる12日前。
私の出番が先で、兄さんはクイツキ。
「意地くらべ」をやっていた。
人があまりやらない根多を持っていたっけ。
「骨違い」「武助馬」「五貫裁き」など。
よくやっていたのは「町内の若い衆」「不動坊」「牛ほめ」「だくだく」「持参金」…。
派手さはないが落語に兄さんの人柄がほんとによく出ていた。
落語そのものより家元のことが大好きだった。
高座を聞けばすぐわかる。

早すぎますよ。
合掌。